1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦中の欧州で、1918年(大正7年)に爆発的な流行を見せたスペイン風邪は、戦争という欧米間の兵員移動がその流行を加速させたと言われている。第一次世界大戦では、本当の戦死者よりも、インフルエンザなどによる戦病死者の数が上回ったという。そのため、遂に戦争を遂行させることができず、翌年1919 年(大正8年)パリで戦争終結の講和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が結ばれた。しかもそのスペイン風邪といわれるインフルエンザは、実はスペインが発生の源泉ではなく、1918年2月にアメリカ・カンザス州出身の新兵が米軍のファンストン陸軍基地にもたらしたのが、始まりとされている。とりわけアメリカでも田舎から招集された兵士に多く感染者がでたという。そしてアメリカ軍が欧州戦線へと参戦したことで、ヨーロッパ中にインフルエンザを拡散させたことになる。このスペイン風邪は、ことに15歳から35歳の若年層に死亡者が多いのが際だった特徴とされる。スペインは当時中立国であり、戦争には参加しなかったが、それでも、インフルエンザの猛威は免れなかった。スペインはインフルエンザの流行の情報は公開していた。他の欧州の戦争国はインフルエンザ曼延の情報を、戦争遂行に不利な情報として隠蔽した。そのため、あたかもスペインが発生源であるかのようにされ、スペイン風邪というおぞましい命名がなされ、それは全くの濡れ衣であり、スペインの抗議にもかかわらず、その汚名は消えることがなかった。(『人類対新型ウイルスー私たちはこうしてコロナに勝つ-』トム・クイン 朝日新書 2020年5月)
一方1918年、大正7年の日本では、当時流行性感冒とよばれていたこのスペイン風邪のパンデミックは、いかなることになっていたのであろうか。日本全土で約45万人が死亡したとされ、当時日本の植民地であった朝鮮半島と台湾では、それぞれ23万人、5万人が死亡した。
富山県高岡市の田舎の寺の過去帳に、その軌跡を見て見よう。高岡市は人口の密集する、いわゆる大都会ではない。現在も人口20万人に満たない。インフルエンザなどの流行性伝染病の発生する人口過密な都市、また他所から感染症が流入する大きな港湾都市でもない。西光寺の門徒は、高岡市内を中心に、隣の氷見市などの、農村部に広く散在する。典型的な田舎の寺である。そこで、スペイン風邪が流行した大正7年前後の死者数を過去帳から検証する。田舎では何が起こっていたのか。当時、富山県では、統計によると、正確な数ではないが、死者は、大正7年では、512-1024人の間、大正9年では256ー512人の間とされている。確かな数は分らないが、富山県は死者数の少ない県に分類されている。それでも、百人単位での死者数を数えている。
(https://indeep.jp/seaweed-fucoidan-and-virus-immune-cytokine-storm/)(注1)
統計としては、流行の始まる大正7年より前の大正4年からその後の大正9年までを扱うこととする。死者数を公表するわけにはいかないので、指数で示す。始まる前の大正4,5,6年の3年間の平均死者数を1として、計算する。
大正
4年 0.88
5年 1.16
6年 0.96
7年 1.42
8年 1.12
9年 0.92
確かに、大正7年は、前年比約4割ほど増加しているが、その後、8年、9年とはほとんど、増加せず、終息にむかっているように見える。 感染爆発とは言いにくい。過去帳では中には流行風邪と注記したものがあるが、死因は必ずしも流行性感冒と限らない。通例の死亡原因も多い。よって西光寺の門徒衆においては、激甚な感染は免れたと思われる。しかし、当時、富山県東部では、特に新川郡に感染者が多発し、流行病の曼延や社会不安、物価の高騰などから、8月に水橋町から、いわゆる米騒動が勃発し、その混乱は燎原の火の如く全国に広がった。スペイン風邪の後、その後の社会の動揺や混乱は、まったく予期しない方向に向かう。シベリア出兵やアジアの民族運動や社会主義運動の高まり、安田善次郎や首相原敬の暗殺など、日本社会にも暗い影が忍び寄っていた。一方欧州では、1917年のロシア革命、さらにはワイマール憲法の制定から、ヒットラーの独裁政権の誕生に至る過程もそこに遠因があるとされている。アメリカでは、1929年に始まる世界恐慌へと混乱は留まることはなかった。今度の新型コロナ騒動の今後はどうなるか、楽観視することなく、政治・経済、国際関係をも含めて充分注視する必要があろう。
それから百年後の2019年12月から、中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスは、その後、日本をはじめ、欧米で爆発的なパンデミックを引き起こし、感染者・死亡者ともに、世界中に、かってない被害を広げている。今後さらに第二波、第三波と続くものと見られている。しかもこの厄介なウイルスは、未だに治療薬もなく、ワクチンもない。この新型コロナウイルス感染症の死亡者は、ほとんど65歳以上の高齢者や基礎疾患をもつ者に集中している。子供には大きな感染爆発が起きていない。スペイン風邪とは真逆の傾向が見て取れる。これがウイルスという悪魔の不可解な性格である。新型というからには、旧型があるに違いない。それは2002年に中国広東省を感染源とするSARSであろうか。このSARSウイルスもコロナウイルスという。鳥が宿主となって、その間に突然変異して、近接して住む人間の間に感染して拡大するという。今回の新型ウイルスも、コウモリが媒介したのではと言われている。武漢から発生したので、武漢コロナウイルスと命名するのが正確と思われるが、それをひた隠しにして、情報隠蔽し、その責任すら回避する国がある。それではあまりにスペインに対して不公平であろう。危機管理と情報開示の透明性という点では、SARSの経験は生かされなかったと見られている。
もっと根本からの検討が求められている。このようなウイルスが突如出現する事態をどう解釈するかである。地球環境の悪化、自然破壊、人的往来移動の広域・迅速化、産業・経済のグローバル化、格差社会の増大、自国第一主義の経済ブロック化など、今までにない激変が世界中に起きている。新型コロナパンデミックを第三次世界大戦に匹敵するという人さえいる。生物界の一現象として、識者の提言に耳を傾けよう。先出のトム。クインは言う「地球という惑星が、自己調整機能を持つ生命体だとする「ガイア説」を信じるならば、人類をごっそり減らすパンデミックは、地球の側からすれば自然の成り行きだといえるかもしれない。」また、このようにも言う。「人類は世界の隅々まで進出し、他の生物や、そこに潜む病気までも追い立てることで、自分自身の未来を危険にさらしている。その危険から目をそらすつもりならば、それなりの覚悟が必要だ。」
今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、つまるところ、人災ではないのかと言うことになろう。生物界に頂点に君臨したかのような、傲慢な人間に対する、自然界からの警告と謙虚に受け止める必要があろう。 華厳経に言う「山川草木悉有仏性」という、仏教の原点に立ち返って見るべき時ではないだろうか。
2020年5月24日
(注1)『流行性感冒 スペイン風邪大流行の記録』
(内務省衛生局編 東洋文庫 平凡社 2008初版 2020第二版)によれば
大正7年初発から大正8年1月15日までの間
富山県では 総人口 815,838 患者 359,522 死者 3,423
全国では 57,190,355 19,232,675 204,730
統計では
大正7初発-8年1月15日 1月16-31日 2月1-15日 2月16-28日
人口千に対する患者 336.29 8.67 9.02 6.72
〃 死者 3.58 0.15 0.18 0.21
患者百に対する死者 1.06 1.79 1.96 3.10
※参考書
『流行性感冒 スペイン風邪大流行の記録』
(内務省衛生局編 東洋文庫 平凡社2008初版 2020第二版)
石 弘之 『感染症の世界史』
(角川ソフィア文庫 2018.1)
トム・クイン 『人類対新型ウイルス 私たちはこうしてコロナに勝つ』
(朝日新書 2020.7)
小原 雅博 『コロナの衝撃 感染爆発で世界はどうなる?』
(携書2020.5)