令和七年が明けて正月を迎えた。去年の正月は元旦の夕刻に起こった能登半島大地震で、我が家も揺れに揺れた。大きな被害を被り去年はその修理・修繕に大わらわであった。幸い無事もとのように回復したが、能登の復旧・復興も遅々として進んでいないことに心を痛める。それに比して今年は雪もなく、穏やかな年明け、正月であった。。
小生、今年で満78才となる。いわゆる後期高齢者になってはや二年が経つ。去年が数えの77才だったことになる。つまり去年が喜寿の年であった。もうこの年になると、大方の公的な役職からは、引退しいてもおかしくない。小生も、体調不良もあって、いくつかの美術館の理事や評議員、また文化財保護委員会の委員などの役職を辞退、遠慮させて頂くことにした。「老兵は立ち去るのみ」とは、誰かの言葉だが、その通りだと思う。何時までも地位にしがみついて老害を垂れる御仁も多いが、何よりも出所進退がわからなくなったぼけ老人ほど面倒なものはない。そういう事例をいくつか見てきた。そのようにはなりたくない。
他方でも自己の老齢を悟る機会があった。身体的な衰えは別として、まず自分と同世代前後の先輩・友人・知人の何人かが鬼籍に入ったことも、寂しい限りであり、それ故、自分の老い先を意識するようになった。
それよりも世間からもう相手にされていないことを、思い知らせれる事案が散見されることが、大きい。身近な事で追えば、パソコンのメールを開いて、毎日4、50通のメールがあってもほとんどが無関係な広告メールや、詐欺まがいのメール、いわゆる迷惑メールばかりで、公的な連絡や通知、依頼のメールはそんなに中で一割にも満たない。それ故要らないメールの削除に追われるばかりである。。
さらに追い打ちをかけるのは今や主流となったスマホである。新しいスマホを手にしても機能がよくわからず、その時は子供やはては、孫に頼むしかない。かれらは、いとも簡単に操作して、直してくれる。有り難いこと限りなしである。勿論今はやりのSNSやTikTokなどという奇っ怪なものは、一切利用できない。それ故詐欺やロマンス詐欺や、闇バイトなどとは無縁である。それよりも、もっと悲惨なのは、一日中スマホを手元においていても、誰からも電話がかかってこない。かけて来る相手もくたばっているのかもしれない。「便りがないのいい便り」とはこのことかもしれない。またどこかで合流して、飲み会をしようという話も少ない。。たまにかかる外国からの番号や知らない番号の電話には出ない。結局家族間のラインを確認して、子供達や孫達が元気で、無事であることに安堵するばかりである。
杜甫のいう「家書万金に当たる」とは今風にはこういうのであろう。明るく照らされた舞台の袖から人知れず見送られることもなくそっと立ち去る人気凋落の老役者の如しである。あの華やかで輝いていた、我々の時代はもう終わったのであろうか。
ところがかつてのお弟子達が喜寿のお祝いをしてくれるという連絡があった。そのお弟子達も還暦前後の世代ではある。久しぶりにみんなが元気な顔を見せてくれることだろう。お弟子の中にはもうすでにこの世にいない者が何人もいる。この世に縁を得て、年輪を重ね、命の尊さを実感し、集まったみんなと感謝し、旧交を温めて共に歓びたい。
「南無阿弥陀仏」合掌
(2025.1.22) 西光寺前住職 百橋明穂